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INTERVIEW

月刊専門料理 1986年5月号「今月の顔」

江戸料理本から基本をくみ取る

福田 浩氏(なべ家 主人)
 
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 江戸前の東京の料理屋というのは、ことに戦後、関西料理の勢いが強くなって、ずっと押されっばなしなんです。私は東京の下町育ちですし、母方の実家が浅草蔵前にあった料理屋でしたから、気持ちの上からは、私自身やっばり関西料理に押されていることに対して、悔しいという気持ちは一時期ありはしたね。
 関西料理の仕事が、どんどん江戸前の料理屋に入ってきて、江戸前料理の本来の姿がすでにわからなくなってきていましたね。そこで、何とか、江戸前の本来のあり方をどこからか得られないだろうかということで、江戸料理本に興味を持つようになったわけです。
 料理書原典研究会に参加したりして、江戸時代の料理本の献立を中心にいろいろと読むようにしていますが、私にとってそれは研究ではなくて、勉強なのです。そうした料理本の中にでてくる献立の中から、実際に試作してみて、今の時代に使えそうなものを店の献立に組みこんでいく、つまり、先人が考えた献立の中から現代に生かせるものをみつけだそうというわけです。
 しかし、そうした江戸前料理の再現という観点からいいますと、料理だけを取ってみても生半可な知識ではできない、非常に難しい作業なのですが、お膳の上だけでいろいろと考えてみても、何かむなしい気がしてきたのです。関西料理に対抗して、江戸前料理はこうなんだ、というものを現代にもう一度打ち出したいと、最初は意気込んでいたのですが、さらに時代の雰囲気を取り込もうとすると、料理だけを作ったのでは、江戸前料理の本来の姿がもう一つでてこないのです。何か中途半瑞なのです。それを満たそうとすると、どうしても舞台のセットと同じようなことが必要になってくるのです。座敷の造りとか、庭とか、掛け軸とか、膳立てや器まで、すべてキチッとやらないとならないんですね。
 しかし、一介の料理屋がそこまでやることは、現実にはまず無理なのです。その意味では、むしろ、老舗のように仕事が連綿と受け継がれ、店の格もある江戸前の料理屋のご主人に、こうした古い江戸料理本を勉強していただけると、私のようなものより、はるかに成果はあがると思うのです。
 なぜなら、お公家さんの料理は、やはりお公家さんの血筋を引く人でなければどうしても実感としてわからないという部分があるように、江戸前の料理は、やはり老舗の主人といった人でないとわからない部分があると思うからです。そう考えていった時に、確かに古典を読むことは必要だけれども、それにあまりにひたりすぎることは危険だなと、今では思うようになりました。

時代の流れを読み取ることが大切

 というのは、江戸前料理の大きな要素の一つに江戸前の魚介があるわけですが、ご存知のように、現在ではほとんど手に入らなくなっているのが実状です。その傾向は、古い文献を読んでいると、驚くべきことに、すでに江戸時代から、江戸前の魚介が少なくなってきたということが書かれているのですね。それでも、戦前までは、まだ今よりははるかに獲れましたし、それなりの江戸前の雰囲気が料理にあったわけです。
 ある時、築地のおさかな博物館の阿部宗明さんにお会いした時に、今、料理に使われている魚介の多くが日本で獲れたものではなく、世界各国で獲れたものだということを教わりました。そして、江戸前の材料にあまりこだわって料理をやっていくと、自分の首をしめることになるよと指摘されたのです。
 その時、初めて江戸前料理に縛られていた自分の気持ちがふっ切れた気がしました。江戸前どころしゃなくて、日本前の料理がなくなってしまうという感じを受けたのです。材料は好むと好まざるにかかわらず時代とともに変わっていきます。ですから、当然、料理も時の流れとともに変化していく部分があってもよいのではないかと思いはじめたのです。
 そう考えると、江戸前料理というのは、本来、江戸時代から新しいものを常に吸収して、常に流行の最先端をいつていたということもいえると思うのです。
 それが、戦後、江戸前の材料だけでなく、その香りさえもなくなってしまっている。つまり、その基盤を見失なっていることが江戸前料理の大きな問題なのではないでしょうか。
たとえば、江戸前料理のもう一つの大きな要素である味付けについては、そう一気に変わることはありません。関東の醤油、赤味噌、味醂、砂糖をきかせた、しっかりした味付けは、東京の人の口に合ったものなのです。
 もちろん、時代は徐々に薄味傾向に変わりつつあることも考慮しなければなりません。しかし、江戸前の本来の味付けはこうなんだというこだわりというか、基本は忘れてはいけないと思います。
 時代にあまり流されすぎてはいけませんが時代の流れはよくよみ取ることが大切です。その時代に合わせた料理を考えることも必要なことでしょう。そのためには、江戸前料理の視座というものをしっかりと持っていることが大切です。現代においてそのことは、江戸料理本を読むことによってはじめて、自分の位置を確認できることが可能になるのです。
 そして、江戸料理本を試作して思うことは、料理そのものは今の人にとっても決して古くさくないということです。要は、その中から今の時代に合わせて、仕立て直していくことだと思います。