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INTERVIEW

月刊専門料理 1987年9月号「今月の顔」

老舗の主人はリレーランナー

園部 武氏(山ばな平八茶屋 20代目主人)
 
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 400年以上もの歴史がある店の後を継いで大変でしょうと、よく人からいわれます。確かに、その店を守っていくことだけを考えていたら大変でしょうね。しかし、守るだけでなく、私自身もこの店の歴史を作っていくのだといった前向きの姿勢に立てば、そんなに大変なことではありません。そうした結果、残っていくものが、
すなわち積み重なって店の歴史になっていくのだと私は思います。ですから、過去の遺産だけを大切にして、それを自分一人の力で守り通していこうとしたら、ものすごく大きな負担がその人の肩にかかってくることでしょう。
 かといって、自分一代でこの店を何とかしようとか、自分の考えだけで何かをやり遂げようと思ったら、それはそれでパワーもいりますし、資本もいりますし、危険も大きいと思います。むしろ、二代先、三代先になってもいいから、長期的な目標を掲げて一つひとつ取り組んでいくことが、結果的に店を守っていくことにつながっていくのだと、最近、私は考えるようになりました。親父は生前に店の将来をこう考え、それを息子の私に託そうとしていたのだな、ということに思いを馳せることができるようになったせいでしょうか。私の置かれている立場というものが、私自身ようやくわかってきたのです。それが、長い日で店の将来を考えていくことにつながっているのです。
 こうして代々、店を継いでいく立場というのは、たとえてみればリレーランナーだと私は思うのです。なぜリレーランナーかといいますと、駅伝でもそうですが、無茶苦茶走って息が切れて、途中で棄権してしまうようでは次のランナーには、たすきを渡せないのですね。もちろん、きちんとたすきを渡すことができれば、速いの越したことはないのですが、リレーランナーにとって最も大切なことは多少遅くとも何はともあれ次のランナーに、たすきを渡すことなのです。たすきを渡せなかったら、そのレースは棄権になるのと同じように、店の歴史も何も残らなくなってしまうのですから。
でも、たすきを渡すという行為は同じでも、それぞれのランナーは、それぞれの思いを抱いて走り、たすきを渡してきたのではないでしょうか。ですから、たすきを渡すまでの走り方は、それぞれ違っているわけで、その意味では私は2人目でも3人目でもなく、やはり20人目のランサーであるわけです。自分が店の歴史を作るのだとか、作ったのだとかいったことも今の私には関心がありません。ただ、精一杯の誠意をもって、この時代を自分なりにやり抜き、息子の代にも店を健康な状態で渡すことができるよう努力することだけを肝に銘じています。

時代を超えて受け継がれてきたものの価値を再認識する

 健康体で店を維持していくためには、経営者とはいっても料理屋の主人であれば、料理に携わるのが当然だと私は思います。私が学校を出た頃は、ちょうど日本は高度経済成長期で料理屋でも経営ということの重要性が強く叫ばれていた時代でした。私は経営は後からでも勉強できると考え、まず料理の修業の道に入ったのです。それは、たとえてみれば士官学校をでた成り上がりの小尉が部隊を指揮するよりも、やはり二等兵からたたき上げた軍曹のほうが、やはり部隊を的確に掌握できると考えたからなのです。つまり、現場の実態がわからなければ、私の店で働いてくれる調理人の本当の気持ちはわからないと思いますし、それでは人は動かないと思ったのです。
 しかし、親父が亡くなってみると、やはり調理場からのアンテナだけでは、むずかしい部分があります。店をこれから先、どういう方向に向けて進めていくかという方針を私なりに、この時代に決めておく必要があることを最近、特に感じるようになりました。そこから、料理というもの、調理場、店といった部分について見つめ直すことが必要なのだと、思います。
 私自身が店の調理場に入って間もない頃に、店の名物の麦めしとろろを捨てようかと思ったことがあります。といいますのは、季節めしというのが一時、京料理で流行ったのです。私の店はといいますと、あいも変わらずとろろと麦ごはんなのです。しかし、長い目で考えてみますと、料理というものはどんどん変わっていくもので、むしろ変わらないでいる料理のほうが珍しいのです。そうした時代に関係なく受け継がれてきたものには、それなりの価値があるわけで、創業以来、代々守ってきたものに、こだわっていくのが私のひとつの宿命でもあると思えるようになってきたのです。
 私の店の長い歴史をふり返ってみますと、川魚料理を打ち出したのは明治に入ってから、若狭ものを使った懐石料理を考えたのは先代、といったように、その時代時代に応じて料理は少しずつ変わってきているのです。しかし、麦めしとろろは、そのまま変わらずに、守り伝えられてきたのです。
 ですから、料理でもこだわって残していく部分と、その時代の変化に対応してチャレンジしていく部分の二つの視点を持っていることが大事なのです。その両方の視点を常に持っていることが、結果的に店を次の時代、つまり次の代に健康体で渡すことにつながるのだと私は思います。