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INTERVIEW

月刊食堂 1989年10月号「たべものやの証人たち」より

同じものを変わらず出し続ける努力が必要

堀田喜久雄氏(竹むら 主人)
 
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 そば、鳥なべ、あんこう料理など、古き佳き東京の味を守る名店が軒を並べる神田・淡路町、須田町界隈。「竹むら」はその一角を占める老舗のひとつで、創業は昭和五年。当初からグレードの高い汁粉屋をめざしての開業だったというが、いまや由緒正しいまっとうな汁粉屋であり続ける貴重な存在として老若男女に慕われている。堀田氏はその二代目店主である。
 汁粉屋は戦後、時勢の転変の波をもっとも厳しく受けてきた業種ともいえ、繁華街でもない神田の路地裏で、暖簾を守り通すことがいかにむずかしいことだったかは想像に難くない。しかし堀田氏は、時代の流行におもねることなく、ひたすら先代の父・故勇雄氏が築いた昔の味を堅守してきた。それはまさに識見であった。汁粉屋は餡に始まり餡に終わる。奇を衒わず本筋の商品をきっちりと提供する――先代から受け継いだ基本を貫き通す姿勢が、老舗にふさわしい醍醐味を醸している。

はじめからグレードの高い汁粉屋をめざしたんです

 創業の経緯ですか。正確にいいますと、汁粉屋を始めようと考えたのはお袋のほうなんです。お袋はかんだやぶそばの娘でしてね。やっぱり商売をやりたいと。それで店を開けるに当たって親父と一緒になった。そんなところのようです。親父は本郷の藤むらさんで仕込まれた和菓子職人で、お袋のところに養子に来たわけです。結局、汁粉屋というのは餡と餅が主体で、和菓子の系統の仕事ですからね。汁粉の餡と和菓子の餡とは、砂糖の割合が違う程度なんです。だから、小豆でも砂糖でも、藤むらさんと同じようにいいものを使っています。私なんかはなんでこんなものを揃えたかなって思うくらい、和菓子の道具なども揃えてありましたね。
 そんなわけですから、帳面つけるとか細かいことはすべて、お袋がやっていたようです。親父は仕事一本の職人ですから、私が子供の時分など、仕込みだけすませてあとは組合の用だ何だと出かけちゃってました。まあ、うちに限らず昔は、店の切り盛りはおかみさんが、というお店が多かったようですけど。
 それと、創業当初からグレードの高い店というのをめざしていたのは確かなようです。いまは盛り場あたりはテナント料が高くなって値段も逆転していますけれども、昔はうちの汁粉は銀座よりも高い値段だったんです。私が覚えているのは戦後のことになりますが、銀座あたりでも汁粉一杯三〇円か三十五円くらいの頃で、うちは五〇円でしたからね。店の規模というか造りにしても、かなり力を入れていたなあって感じますよ。料理屋でもないのに二階に座敷があったり、とね。
 開店当時、この神田には餅菓子屋とか団子屋はあっても、本格的な汁粉屋は一軒もなかった。それで汁粉屋らしい汁粉屋めざして開業した、ということなんですけど、うちみたいに汁粉だけでやっている店というのは、昔からそうたくさんはなかったようです。いま古くからある店というと、銀座の若松さん、日本橋の梅むらさん、浅草の梅園さん、松邑さん、そんなところでしょうけど、当時にしても汁粉専門でやっていたという店はいまと変わらないくらいの数だったと聞いています。ですからふつうは汁粉屋といっても、団子とかおはぎとか大福とかをやっていて、汁粉が主、というのではなかったんですね。
 私は大学を出てからすぐに店を継がないで、三年ばかりサラリーマンをやってるんです。店を継ぐのがいやだとかいうのではなくて、親父が持っていない面を自分に取り入れたいって気持ちが強かったんです。若かったから反感みたいなものもあったんでしょうが、なにしろ親父は全くの職人ですから。仕事そのものについては当時もいまも尊敬してますけど、時代が大きく変わっていたときだったし、これからは職人以外の面が必ず必要になる、そう思ったわけです。ま、店を潰さずにすんで、業績もそれなりにあげてこられたんですから、何らかの意味はあったんじゃないかと思っていますけども。店に戻ってきたのは、昭和四〇年の暮れです。親父はそれほど厳しいというわけではなかったんですが、サラリーマン時代は営業関係の仕事で表へ出ればけっこういい加減にできたのが、朝早くから夜遅くまで一日中、店の中にこもりっ切りでしょ。そういう意味では最初のうちはこたえましたね。

これが旨いんだって信念をもたなくちゃいけません

 神田のこのあたりというのは、昔はラシャ屋さんが集まっていた土地で、特に用事のない人は足を向けないところだったんです。戦後になっても、新宿、渋谷、上野とかは栄えても、神田なんていうのは取り残されてたんです。いまでこそ、戦前のままの店が残ってるとか、老舗の食べもの屋があるといって若い人もいらっしゃいますけどね。ですから私なんか子供心に、こんな年寄りのお客さんばかりで、将来どうなっちゃうのか、なんて思ったりもしました。昭和三〇年代ころでも、若い人はコーヒーかトリスバーでハイボール、の時代でしょ。当時コーヒーと汁粉がほとんど同じ値段なんです。汁粉は前の晩から豆を選って水に漬けて、朝早く起きて煮て漉してと、こんなに手がかかるのにどうしてコーヒーと同じ値段なんだってね。そういうことで汁粉屋をやめてコーヒー屋さんに変わってしまった店も多かったと思います。ただ、そうやって時代の流れから取り残されはしたものの、やぶそば、いせ源さん、ぼたんさんと、いわゆる名店が集まっていたおかげで、いいお客さまに恵まれてきましたね。
 いずれにしても、うちみたいに店に来て汁粉を食べていただく、という形でやっていくというのは、もう新規に始めるのは無理なんじゃないでしょうか。親父もそれが分かっていたんでしょう。私が店に入ったころ、いつやめてもいいぞっていってましたから。親父の時代は、「材料に五割かければうまいものが売れるぞ」といえたからよかったけれど、いまはいろいろ経費がかかるし、三割がやっと。でも、材料は昔のままで落としてませんから、相当に数をこなさなきゃならないわけです。それでもまだ、揚げまんじゅうのテイクアウトがあるから、なんとかやっていける。で、そうはいってもデパートに常時出すようなことはしたくない。困ったものです。
 いまうちで作っている餡は、御前しるこ用とまんじゅう用のこし餡が二種類、それに田舎しるこ用のつぶし餡、黒砂糖を使った黒あんしるこ用の四種類です。昔は薄茶餡とか白餡なんかもやっていたんですけど、いまは和菓子も一緒にやらないととても使い切れません。
 小豆、砂糖といった材料は、昔からずっと同じものを使っています。小豆は北海道産のものから選んで取り寄せています。大納言なんかは、京都あたりの和菓子屋さんは丹波のものを使うようですが、うちでは大納言も北海道のものです。砂糖はグラニュー糖です。何といいますか、クセがなくて上品なさっぱりした味に仕上がるんですね。お店によってはシャリ止めに水飴を入れたりするようですが、うちではずっとグラニュー糖だけです。どちらがいいとかということでなく、お店の特徴ですね。シャるというのは、砂糖が分離して、白っぽく結晶みたいになることで、我々の用語なんです。
 最近は甘さを控えめに、なんて時代になってますけどね、逆に戦後、甘いものに飢えていた時代の反動で、ものすごく甘いものが流行った時期がありました。たとえば「甘すぎて申しわけありません」なんて看板を出して、それが売り物だった店があったくらいでした。そういうふうにいろいろと時代の流れはありましたが、うちの場合はだからといって、分量も作り方も変えてはいないんです。正直なところ、甘味を控えろとかいうくらいなら、食べないほうがましだと思うんです。甘いものは甘いものでおいしく召しあがっていただいて、ほかのほうで控えていただければ、とね。それに、お客さまにはいろいろと好みがありますよね。ですから、お客さまのひと言ひと言で揺れ動いているんじゃどうしようもない。これがうまいんだと、自分の信念で行くしかないんじゃないでしょうか。

汁粉屋なんてなければないですむ商売。だからこそ味を守らなくちゃ

 親父の時代は職人気質を通して、食えればいい、納得のいくものさえ出せればいい、とやれたわけですが、いまはそうもいきません。でもやっぱり、お客さまあっての商売ですし、親の代から六〇年間積み上げてきて、それをお客さまが認めて下さっているから、いまでもやっていけるんです。それをお客さまよりソロバンのほうを大事にするようになっちゃおしまいだと思っています。それに、小回りのきく家業のよさというものもあるんじゃないでしょうか。商品について、奇を衒うような新商品を作るとか、そんなつまらないことに骨を折る必要なんかない。いまの仕事をきっちりとやっていく。そのほうが大事なことなんだと思っています。たとえば、いくら忙しくても、注文が入ってから一杯ずつ餡を溶いて汁粉にする。そんな当たり前のことが、案外と忘れられていますからね。
 いまはよほど忙しいときでなければ餡作りは職人に任せていますが、材料の質とか出来具合はきちんと見るようにしています。おかしなもので、無意識に餡をなめていたりするんですね。そうしないと気がすまない。それと、親父は人前に出るのが嫌いでしたが、私は自分でお客さまと接して、お客さまの反応を受け止めなければいけないっていうのが、信念なんです。ですから、お運びでも何でもやりますよ。そうすると、変な話ですが、最近のお客さまが汁粉というものを知らないなってことも分かるんです。御前しること田舎しるこの違いが分からない。それはちゃんと説明してさしあげます。ただ時々、白玉ぜんざいできますか、なんてわけの分からない、おかしなことをいわれて困ることもありますよ。ま、どんなものをお望みなのか、お客さまと話しながらやっていますけどね。
 何だかんだといても結局はね、甘味屋、汁粉屋なんてものは、なければないでいいものですよね。そこが、食べもの屋といってもご飯もの屋との違いなんです。でも、同じものを変わらずに出し続ける努力をする。そしてそれをお客さまが支持して下されば、こんないいことはない。そう思うんです。