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INTERVIEW

1986年 グランシェフ2 「個性派登場」

理想の店づくりは自分ひとりでは出来ない

音羽和紀氏(Otowa restaurant 店主)
 
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アラン・シャペル氏の人生観に感銘を受けた

 私の料理修業は、大学を卒業してすぐにドイツに渡って始まりました。その後、スイス、フランスと渡ったわけですが、私が現在あるのは、やはりアラン・シャペルさんに出会えたからであると思っています。料理のテクニックはもちろんですが、氏の人生観そのものにも大きく感銘をうけました。なぜ、パリではなくリヨンの、それもミオネーという小さな村で店を開いているのか、氏の下で修業して初めて理解できました。私にとって、氏は料理の師である以上の存在、親父だと思っています。
 そのような影響があって、帰国したら自分も郷里である宇都宮にレストランを持とう、できればオーベルジュ(旅籠屋)を作りたいと夢を抱いたのです。
 ですから、帰国してすぐに新宿中村屋にお世話になりましたが、ほどなく、宇都宮に帰ってカフェとレストランを合わせもつオーベルジュという店名のレストランを開店しました。これが、もし、渡欧する前に東京のホテルなり、レストランなりで第一歩を踏み出していたとしたら、きっとフランス料理の最大のマーケットである東京への出店にこだわったかもしれません。宇都宮という地方出身の私が、シャペルさんに出会えたからこそ、宇都宮への店作りを展開させることができたのです。
 しかしながら、私自身余裕のある身ではありませんから、ハイ、明日から宇都宮でオーベルジュを開業します、とは無理な話です。資本も必要ならば、スタッフも揃えなければなりません。そして、何よりも店を支持していただくお客さんがいなくては、営業していけません。「客が店を育てる」といいますが、初めにそのきっかけをつくるのは店のほうです。東京ならば、新しいすごい店ができた、それ、行ってみよう、ということになります。しかし、宇都宮ではたとえ出店できたとしても経営的には無理が出てしまいます。
 それらの条件が重なって、まずはカフェを合わせもつレストランオーベルジュを開店しようということになったわけです。1階を軽食とデザートを提供するカフェにしたというのも、ひとつには安全弁の意味があります。また、カフェの利用客が月に1回なり2階のレストランを利用する相乗効果も期待しました。
 今でこそ、アラン・シャペルの店で修業した、といえば、それなりの反応を得られますが、開店した当初は、知らない方が大半でした。また、私自身もアラン・シャペルのアの字も出さず、オーベルジュの音羽の料理を評価してもらえることを願いました。
 カフェであっても、他の喫茶店の料理とはひと味違うと評価されたのか、カフェのほうは順調に進み、予想していたように、それに呼応してレストランのほうにもお客さんが増え、固定化してきました。
 そのうちに、宇都宮西武百貨店から、デリカテッセンコーナーに出店しないかという話がきたり、店づくりをプランニングしてほしいなどの話もよせられました。昭和60年暮には若い客層が飲んで食べられる店「セ・ラ・ヴィ」の出店に踏切りました。お蔭様でセ・ラ・ヴィのほうは、オーベルジュと同じ経営という背景があってか、オーベルジュ出店のときとは比べものにならないほど早く顧客を得ています。

「夢」を持つことが経営者の必須条件

 お前の夢であるオーベルジュはどうした、と思われるかもしれません。しかし、私にとっての夢の実現は、そう遠くはないけれども、まだ条件が整っていません。宇都宮にあって、オーベルジュの存在は、お客さんに、やっと認識されはじめたばかりです。店を通して地元の人たちと、少しでも多くのふれあいをもつことは、とても大切なことです。あらゆる世代、幅広い人たちと交流が生まれてこそ私たち料理人の存在はあるのです。ひと昔前ならば、店ごとに客層の違いが明確にありました。しかし、現在は、客の側もまた店の側もそのような固定観念をごく一部を除いて持たなくなっています。少なくとも私自身は、そうありたいと願って店づくりをしているつもりです。オーベルジュを週に1回利用するお客さんも、また1年に1回利用するお客さんも私にとっては大切なお客さまであることに違いありません。そのような日頃の姿勢があれば、多少時間はかかっても必ず支持されると信じてます。
 しかし、たとえ、私一人がそのように考えたところで、お客さんにその意味が伝わるものではありません。店のスタッフ全員に同じ気持ちがはたらかなければ、楽しい食事の提供は絶対不可能です。私の料理に対する考え方、店づくりについてスタッフ全員に理解してもらうために充分時間をとってきました。とはいえ、いくら自分の理想の店づくりを話しても、各人の生活の保証をしてやれなければ、誰もついてきてくれません。自分たちの生活が安定していればこそ、料理づくりにも身が入りますし、気持ちよいサービスも提供できるのです。逆に、私自身にとっていえば、スタッフの生活が保証してやれなければ、お客さんを満足させる店づくりなぞ到底できないと思っているのです。
 確かに、私にとってシャペルさんに敗けないくらいのオーベルジュを宇都宮につくるのが夢です。しかし、それを実現させるには、私一人の力では無理です。調理のスタッフも必要ですし、私の作った料理を、いかに的確に提供し、雰囲気を盛り上げてくれるサービスのスタッフも欠かせません。いろいろな店を手掛けることによって地元の人に存在を認めてもらうと同時にスタッフの能力を高めているのです。
 料理人が独立し店を持つことは、誰にとってもひとつの目標です。その実現のためには、方法論はいろいろあるでしょう。しかし、経営者になるためには、単に人・物・金だけではない夢を持つことが、特にこれからの料理店にとっては必須条件ではないでしょうか。