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INTERVIEW

「月刊食堂」1962年5月号「話題の店」より

料理に対する味と値段に自負をもて

茂出木 心護氏(たいめいけん創業者)
 
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人と変わった方法をとろう

──最初に簡単な略歴からお話して頂けませんでしょうか・・・

 東京芝の南佐久問町にあった創業80年になる「たいめいけん」という店へ入店したのが昭和2年でした。そこで四年間コックをやり独立を志しました。そのとき「看板(ノレン)を貰ってこなければ信用がない」というわけで「たいめいけん」という店名を頂いたのです。現在はもうその店はありません。
 早速中央区新川でたった一人で開店、確か4月1日でした。初日は28円売上げて翌日32円と今でも覚えていますが、しばらくしたら5~6円しか売れなくなりました。これではいけないと出前に専念し、この時、人と変わった方法をとってやろうと住所録の作成にかかったのです。これで200件ぐらいできましたでしょう。それぞれに「味のしお里」(和紙でB7判4頁)というパンフレットを配ってお得意を獲得して確実に増やしていきました。これが現在まで続いて1300件ぐらいになっています。
 昭和19年に空襲で店を焼かれ、途方に暮れましたが翌20年12月、1万円の貯金をはたき借金も加え店を新築し21年の新円切替えで3万6千円の借金を返済することができました。45日間で元をとりましたよ。そして現在の土地を2回にわたって坪300円と500円(33坪)で手に入れて、23年に開店しました。そうざい屋といいますか、10円のコロッケ、メンチにカレー(60円)を売りだしたわけです。
 ここで当然、従来のお客と新しいそうざい屋のお客とが違うわけですから、何とかして昔のお客さまと縁が切れないように作戦を練りました。これが現在まで続いているカレンダーなのです(鳥居啓一氏のデザインによる染紙)。
 はじめは三カ月に一回、カレンダーだけでしたが、これでは淋しいというわけで料理記事、調理カード、四季の挨拶などを折込んで参りました。
 お蔭で26年に二階を造り、28年に冷房機を入れて客の呼込に成功したというわけです。

商売であればお客を大事にすることです

──お店の信条とか料理に対する考え方というものは・・・

 そうですね。他店に食べに行ってみて、安くて食べられる料理ならばというわけで、料理からくるメニューでなく、値段からくるメ二ユーを作成しました(現在のメニューをみるとまず30YENと書いてポテトサラダ、キャベツ酢油あえ、ロ-ルパン、御飯。50YENでボルシチ、スパゲッティトマト。100YENでロースカツレツ、レタスサラダ、きゅうりエストラゴン、トマトサラダ、カツランチ、ハンバーグステーキ、スパゲッティミートボール、ミートコロッケ……その他、200YENでチキンスパゲッティナポリタン、チキンスパゲッティイタリアンというようになっている)。
 それにやはり呼込料理といいますか、特別サービスの自慢料理を作ることですね。昭和35年に海老フライを100円で(普通よりも10円高い海老で)売りだしましたところ一週間したら50個ぐらい売れていたのが400個も売れるようになりましてね。一カ月したら50倍の売上になりましたよ。
 当時三越で〝うまいもの展〃があり出品して総売上げでトップになりましてね(ご飯付き100円売)。
 現在はこれをライス付きで140円、それにカレーライスを90円で売っています。 この二つが、まあいわば評判料理というわけです。
 それに、同じく35年に「お料理の110番」というのを始めまして、お客様の中で料理のことについてわからないことがあったらご遠慮なくお尋ね下さいという紙片を配ったところ、意外な反響があって、テレビや新聞などのマスコミにまで騒がれるようになって恐縮しているわけです。
 それと、私自身料理人から経営者になったわけですが、腕自慢の料理ではダメだということですね。職人根性を打破するということです。視野が狭くてはもちろんいけませんし、商売であればお客を大事にすることですよ。ただ私の場合、かたや先生として扱われていながら、いざ店へ行って食べてみたらとんだ料理じゃないかといわれないように注意すること。いわば料理に対する味と値段に自負をもつことですね。
 また、従業員にもよくいっていることですが、料理の味にむらがないように、食べる相手は一人一人違った人なのだからということです。
 それとうまいものを売るより安心して食べられるものを売ろうということ。量を多く作っているから一品ぐらい手を抜いてもという気をおこすなということですね。
 昭和35年7月~9月まで一人で食べ歩き旅行をしにパリーへ行ったのですが、そのとき画家の向井潤舌先生からいわれましたよ、「人生はあわててはいけない。絵かきがパリーに一年いたからといってすぐうまくなるものではない。料理でも同じだ。パリーにきたから料理がすぐうまくなるものでもない。収穫というものはあわててはいけないじっくり取り組んで徐々に求めていくものだ」と。
 私もこんな気持ちでありたいと思います。