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INTERVIEW

「フードビジネス」1992年6月号トップインタビューより

ジュースの専門家として本物を提供

蟹江嘉信氏(カゴメ㈱ 元・代表取締役社長)
 
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ジュースの専門家として、本物志向の商品を提供するのがカゴメです

 カゴメの創業者、蟹江一太郎氏が初めてトマトの発芽に成功したのが明治32年。以来、トマト加工食品の最大手としての地位を不動のものにした。そして、部門別売上げ構成比では、トマト製品が26%に対して、飲料製品が56%にまで成長(1992年の取材当時)し、主力事業は飲料部門が占めるまでになっている。

――カゴメといえばトマトであり、そして、トマトケチャップです。明治以来の大ロングセラーであり、生活の必需品になっているわけですが、市場規模は大きくならない。スーパーの安売りの目玉商品にもされ乱売合戦という感じもしますが、まず、ケチャップ市場をどのように見ていらっしゃいますか。

 私にいわせると、ケチャップ市場をどうするのか、ということではなく、食全体の中でトマトはどうなんだという視点で見ていくべきだと思う。トマトトータルとして、その中で、カゴメはどうあるべきかを、見つめ直すのが先決でしょう。初代は、日本ではトマトケチャップに適しているとして入っていった。
 しかし、トマトは、調味料としてはケチャップ以外のものにも利用されれば、もっとパイは大きいはずだった。昭和40頃、カゴメにとって、ケチャップのウエイトは70%ぐらいあった。今後の食生活を考えると、料理の中でトマトは、もっといろいろの使い方がある。トマトソースだとかね。だから、調味料としてのトマトを見直していこうというのが現時点です。カゴメという企業は何によって認知され、企業イメージがあったのか、といえばトマトです。われわれが食文化の中で貢献できるのも、またトマト。その原点に帰りなさい、と社内でも言っています。

――カゴメとしては、ケチャップ以外のトマト関連の商品を育成していくということですね。ただ、トマトジュースにしても、これだけ健康志向が高まっていれば、もっと評価が高まってもいいと思うんです。逆にいえば、もったいない。カゴメには、健康イメージも強いわけですしね。

 僕はよくいうんだが、ジュースを再認識してほしいと。日本では、ソフトドリンクとナチュラルドリンクの区別がなさすぎる。ジュースの名前を付けられるのは100%果汁のみ。それが10%とか、サイダーまで、子どもに対してジュースを買ってらっしゃいという。昔はジュースの中に清涼飲料分野が入ってたが、それが今では逆転して清涼飲料分野の中にジュースが入ってしまった。そこで、もう一度、はっきりと区別していかなければならない。そのためには、何を打ち出して行くのか、といえば、健康志向、自然志向。カゴメは、飲料の中でも、ジュースメーカーであり、そこにカゴメらしさもある。

――カゴメとしては、炭酸系などもあまりやらず、それがむしろ、健康イメージを強固にしているという気がしますが、ビールメーカーなども飲料分野の強化に乗り出してきましたし、オレンジ果汁輸入自由化で参入ラッシュ。そこで、カゴメは、どう闘うのか。

 当分は、原点に帰ってジュース関係に力を入れていく。ですから、100%のもの、あるいは、それに近いものに力を入れ、ナチュラルドリンクの方を重点的に強化していく。今後、果汁10%以下のものは、どんどん消えていくでしょう。他社も50%以上のものを市場に投入してきている。
 ただ、100%を主力にするというのは、非常にむずかしい問題がある。原料の確保ですね。オレンジ果汁のように自由化で入ってくるものもあるが、国内で確保しなければならないものもある。その点、わたしどもは、トマトで長年、購買部門がいろいろとやってきましたから、他社よりも有利な点がある。

――他社も100%でいろいろと出してくると、カゴメとしては、どのように差別化していくわけですか。

 他社さんは、そこまでやっているとは思いませんね。100%のものに、他社さんが自信を持っているとは思えませんからね。とにかく、われわれのところは、水にしてもお茶にしても、自然に近いものをやっていく。原料も国内のものを使うのと、海外のものを使うのとでは差が出ます。とにかく、原料からまず厳選していかなければならない。それがジュースメーカーと清涼飲料をやっているところの違いですね。これは、やったものでないと分からないでしょう。われわれが、ぽっとウイスキーに乗り出して、できるかというのと一緒。ただ、モノを作ればいいというわけではない。われわれはメーカーですから、そこが違う。だから、他社の飲料と、われわれの考えている飲料は多少、違いますね。

高齢化社会になればなるほど、ナチュラルなジュースへの欲求は高まってくる

――トマトジュース以来、カゴメにはジュース作りのノウハウがあり、その専門家としての強みがあるわけですよね。ただ、ジュースとして、飲料として完成度の高い商品を作るということのほかに、健康志向を訴えて、どのように消費者を納得させるのかという対策も必要ですね。お茶ブームにしても、その効能が新聞で報道されていたりで、若者層をも引きつけたという面があったと思いますが。

 トマトならビタミンC、そして、今、キャロットに力を入れていますが、ニンジンならガンなどの成人病の予防に高い効果があるとされているカロチンが入っている。ただ、それが薬品のようにきくとは消費者にいえない。
 とはいえ、わたしが宣伝を担当していたころ、田辺茂一さんを起用して、お酒を飲んだ翌朝はトマトジュースを飲むと、アルカリで中和するから二日酔いにならないよ、と宣伝した。
 それで、ずーっとやって、ある時期までは、トマトジュースのパイを大きくした。昭和52年、53年頃までやっていたかな。ただ、そこまではパイが大きくなったけれど、それでは、“カゴメ”を売っているのか、トマトジュースを売ったのかということになった。

――パイが大きくなれば、他社も参入してくるということですか。しかし「お酒を飲んだ翌朝は……」というTVCFは、今でも、われわれの心に残っているし。飲み過ぎた時はトマトジュースに手が出る効果はあったのですがね。

 そういうものを大切にして、いくつかやった。ホウレン草もやったけれども、パイは大きくならなかった。若者志向は、われわれの考えている方向ではなかったんだね。
 しかし、ある年齢に達すると健康を考えるようになり、ジュースを求めるようになる。とくに、高齢化社会になればなるほど、ジュースヘの欲求は高まってくると思います。

――トマトジュースは、健康志向の中で、もっと見直されてしかるべきだと思うんですがね。飲みやすくなっていますしね。

 トマトの品種を変えてきましたからね。昔のトマトだと、トマト臭があったりで飲みにくいとの声もありました。その要望に応えて、そういうものを除いてきた。それに、トマトの青い部分が入ると、色に違いが出たりするので、そういうものをなくして完熟トマトしか使わないから、色と味も磨きがかかった。

――今後は、トマトジュースで培ってきた技術を、ニンジンなどの野菜ジュース作りに活かすわけですね。そして、オレンジやリンゴだとかのパイの大きな分野でも、100%を中心に攻めるわけですね。

 われわれは、この分野の専門家ですからね。他社とは、まったく違うわけではないが、100%のものをやっていく。それが、飲料メーカーの姿だと思う。そこには、手づくりの部分も少し、残さないといけないとも思いますがね。
 ですから、キャロットにしても、キャロットとフルーツ、あるいはアップルとブレンドした3種類を出している。

――ところで、おいしいジュースを提供するためには、製造から物流、販売までのチルド配送網を、どう構築していくのかも重要だと思いますが。

 いま、急にチルドを始めたわけではなく、われわれは、すでに10年近くやっている。ある程度の物流網はできていますからね。それに、一気にドーンとやろうというわけではありません。(中略)
 どこかの商社のように、何万トンもの船で運んできて、大きなタンクを持って、それでパイプの口を開けて、どんどん売っていこうというわけではない。われわれ、ジュースをやっているメーカーは、ブレンドすることのむずかしさを知っているわけです。

――カゴメとしては、今後、そのジュースを提供していくと同時に、消費者には、それを訴えていくわけですね。

 カゴメらしさ、カゴメの企業姿勢は、そこにありますからね。私は、飲料にしても、調味料にしても、それが原則じゃないのかと思いますよ。
 もちろん、市場規模が大きくなり、その中でリーダーシップがとれるようになるのが理想ですが、それを、あまりに急いで達成しようとすれば無理が出ます。現在のような経済環境の中では、歯車がひとつ狂うと、とんでもないことになる。銀行でさえ、危ないとの声があるほどですからね。その点、ウチには、93年の歴史の中で培ったものがあります。(中略)

――最後に、カゴメは、どのような企業イメージを発信するのか。

 わが社は1999年に百周年を迎えますが、その時に評価を得られる企業になろうと、そういう運動を社の内外で展開していきます。

■蟹江嘉信(かにえよしのぶ)
1929年9月17日愛知県東海市生まれ。1952年立命館大学経済学部卒。同年6月愛知トマト㈱(現カゴメ㈱入社。営業次長時代に初めてマーケティングプロジェクトセクションをつくり、マーケティングに基づく販売戦略の方向性を打ち出した、パイオニア的存在。’73年2月名古屋支店長。’74年5月取締役。’75年2月取締役広告部長。「お酒を飲んだ翌朝はトマトジュース」など、一家の大黒柱である“お父さん”に訴求対象を絞る路線で、需要拡大に貢献した。’79年6月、常務取締役。’84年6月、専務取締役。’91年6月代表取締役社長(5代目社長)に就任。