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SERIES

 第5回 不屈の牡蠣 前編/宮城県南三陸町 工藤忠清さんが牡蠣を育てる志津川湾にて

志津川湾はベビーラッシュ!

けあらし

 その3カ月後の11月、私は再び取材のために志津川を訪れた。
 早朝の志津川湾は、ムチャクチャ寒い。海から水蒸気が立ち昇る「けあらし」という現象が起きていた。

 工藤さんら、番屋チームのメンバーは、夜中の1時からずっと働いているという。何をやっているのかたずねたら、「ホタテの耳吊り」。
 ホタテも牡蠣と同じく、稚貝の産地は別にある。日本最大の産地は、北海道西岸の苫前町周辺だ。そこから稚貝が夜中に届くため、夜通し作業をしているのだという。仮設のテントの下、小さな稚貝の貝殻の端っこに穴を空け、ピンクの小さなピンを通し、ロープに結んで海に沈めていく。
 振り向けば、コンクリートの土台だけになった街並みがどこまでも続いている。でも、目の前の志津川の海は、依然と変わらず穏やかで、吊った種牡蠣や稚貝を海に投じれば、海の栄養分がちゃんと育ててくれる。
 被災してゼロになった生産量を、1日も早く取り戻さなければ。
 夜中は漁師とその家族で、昼間は全国からやってきたボランティアの手も借りて、耳吊りの作業はどんどん進められていた。

ホタテ稚貝 耳吊り作業
 

 新しい加工場は建設中のため、寒くても仮設のテントの下で作業する。そんな不自由な環境の下、夜中の1時から、ホタテは「稚貝の耳を、吊って、吊って、吊って」、ワカメは種苗をロープに「挟んで、挟んで、挟んで」の連続。さらに、ホタテにせよワカメにせよ、ロープに結びつけた種を海に投じるには、それを結ぶ養殖いかだが必要で、これを海に固定するには、海底に砂袋を沈めなければならない。1袋50キロあるという。
「砂袋を海に投げ入れる時は、自分の体ごと持っていかれそうになることもしばしば」
 と若い漁師さんが話していた。命がけの仕事でもある。
 この年の番屋チームの頑張りは、ものすごかった。志津川で行なわれていたすべての養殖の基盤を、ゼロから作り直しているわけで、「ワンシーズンで5年分くらい」(工藤さん)働いた。

 ホタテの作業を見ていたら、
「今、ギンザケの赤ちゃんが来たよ。見る?」と工藤さんが言ってくれた。
「見る見る見る!」
 すると、でっかいトラックの横っ腹から突き出た、ぶっとい雨樋みたいなパイプから、ちっちゃい魚がびゅんびゅん飛び出している。

ギンザケの赤ちゃん 稚魚
 

 淡水で育った稚魚は、体長20㎝ぐらい。岩手県の山間部にある孵(ふ)化場からトラックで届いたばかりだった。夏に渡邊さんが話していた通り、洋上には新しいいけすが浮かんでいた。
 2艘の船の間にシートを渡して小さなプールを作り、稚魚を入れている。
 陸上から赤ちゃんたちを見ていたら、「こっちに乗りなよ」と一方の船に乗せてもらった。気がつけば、もう船が動き出している。2艘合せて10人以上。ベテランから茶髪の若者まで、いろんな世代の漁師さんが乗り込んでいた。
 工藤さんが舳先を指さし、
「そこにいれば、危なくないから」
「はい、そうします」
 しばらくすると船の上で菓子パンがいっぱい詰まった、コンビニ袋が回ってきた。みんな好きなのを取り出し、バクバク食べている。私もいただいた。船の上で食べるとコンビニの菓子パンも、すこぶるおいしい。仕事前の腹ごしらえだ。

 志津川でギンザケ養殖が始まった頃、浸透圧の関係で、淡水で育った稚魚が海水になじむには時間がかかると考えられていた。昔は2週間ぐらいかけて少しずつ海水に馴らしてから移していたそうだ。ところが、
「馴致(じゅんち)期間を10日に短縮してみたら大丈夫。7日、3日、思い切って来た当日に移してみたら……実は大丈夫だったんだよ、これが(笑)」
 と、ベテランの漁師さんが教えてくれた。
「だったら最初から、着いたその日に移し込んでおけばよかったですね」
「まったくだ、それまでの苦労は何だったんだ。ハッハッハ!」
 今回届いた稚魚たちも、着いてすぐに海のいけすに移し込むことになった。2艘の船でゆっくりゆっくり運ぶ間に、プールに少しずつ海水を入れて、なじませていく。
 ようやく洋上に浮かんだいけすに到着。漁師さんたちは、極寒の中、船といけすの間をぴょんぴょん飛び移り、ロープをほどいたり縛ったりしながら、ビチビチ跳ねている稚魚を移していく。こうしてギンザケの稚魚の移し込みは、あっという間に完了した。

生簀 移し込み
 

 すべてを流された海に、稚貝、稚魚、種苗を投入中。志津川の海は未曾有のベビーラッシュを迎えていた。ワカメは3カ月で3mに達し、ギンザケとホタテは半年、牡蠣は1年で出荷可能なサイズになるという。しかも海に肥料はいらない。やっぱり海ってすごい。
「海は宝だ!」
 と話していた工藤さんの言葉は、本当に、本当だった。
(後編につづく)

 

◎今回訪ねた先は…

工藤忠清(くどう・ただきよ)
1964年生まれ。父の時代から牡蠣、ワカメ、ホヤの養殖に携わる。93年に有限会社大清を設立し、牡蠣養殖と卸売業を開始。94年には宅配便による配送も開始する。2002年ネットショップ「OYSRER PRODUCEしづがわ牡蠣工房」をスタート。11年3月11日、東日本大震災で被災し、船や養殖・加工施設を失う。同年11月、漁師仲間12人と「南三陸漁業生産組合」を結成。専務理事を務める。
南三陸漁業生産組合
TEL/0226-29-6201
FAX/0226-29-6206
※繁忙期につき、「不屈の牡蠣」は「殻つき・一度に30個以上・継続的な注文」にのみ対応している。
「留守の場合は、一度FAXで注文内容と連絡先をお送り下さい。改めてこちらからご連絡します」とのこと。
 
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プロフィール

奥田政行(おくだ・まさゆき)
1969年山形県鶴岡市生まれ。2000年「アル・ケッチァーノ」を開業。地元で栽培される食材の持ち味を引き出す独自のスタイルで人気を博す。「食の都庄内」親善大使、スローフード協会国際本部主催「テッラ・マードレ2006」で、世界の料理人1000人に選出される。07年「イル・ケッチァーノ」、09年銀座に「ヤマガタ サンダンデロ」をオープン。東日本大震災の直後から被災地へ赴き、何度も炊き出しを実施。今も継続して支援に取り組む。12年東京スカイツリーにレストラン「ラ・ソラシド」をオープン。スイスダボス会議において「Japan Night 2012」料理監修を務める。「東北から日本を元気に」すべく、奔走中。
http://www.alchecciano.com
三好かやの(みよし・かやの)
1965年宮城県生まれ。食材の世界を中心に、全国を旅するかーちゃんライター。16年前、農家レストランで修業中の奥田氏にばったり邂逅。以来、ことあるごとに食材と人、気候風土の関係性について教示を受ける。震災後は、東北の食材と生産者を訪ね歩いて執筆活動中。「農耕と園藝」(誠文堂新光社)で、被災地農家の奮闘ぶりをルポ。東北の農家や漁師の「いま」を、「ゆたんぽだぬきのブログ」で配信中。
http://mkayanooo.cocolog-nifty.com/blog